NHK『逆転人生』(2019年5月20日放送回)の感想

以前にNHKの『クローズアップ現代』という番組について記事にした際

少し話題として取り扱った唐澤貴洋という弁護士が2019年5月20日放送のNHK『逆転人生』に出演していた。

この日の放送内容のサブタイトルは「世界最大のネット炎上」という物。

その内容は、唐澤貴洋という弁護士が本人目線・本人視点で炎上の流れを説明する物だった。

しかし、唐澤貴洋本人の説明する炎上までの経緯は「ネット上で誹謗中傷されている高校生の依頼を受けて開示請求を行ったら何故か自分が攻撃される様になった」という物。

相変わらず、この人物は、自分に都合の悪い部分は隠して経緯を説明しようとするという印象を受けた。

唐澤貴洋が炎上する様になった経緯は、前述の記事にも書いた通りだが

2ちゃんねるのなんでも実況J(ジュピター)板(以下なんJ)にて「長谷川亮太」という人物が八神太一というハンドルネーム(コテハン)で投稿を始め、約3年に渡りほぼ毎日煽りや中傷を含めた自分語りを繰り返すことでなんJの数多くの利用者(なんJ民)から反感を持たれる結果となった。

この長谷川亮太という人物が、自分語り等の際に身の回りに関する断片的な情報も書いていた事から、なんJ民達の積もりに積もったヘイトが爆発し住所と本名を特定されるに至り、住所と氏名を特定された長谷川亮太は、弁護士である唐澤貴洋に依頼した。

依頼を受けた唐澤貴洋は、削除要請や、長谷川亮太の住所、氏名を投稿した相手への開示請求を行ったが、「削除要請を行うためのスレの立て方が解らない」「開示請求を行うレス番号を間違えて請求する」等のポンコツぶりを見せた事から、一時は「長谷川亮太に巻き込まれた可哀想な弁護士」と称されていた。

しかし、2012年4月下旬にまとめWikiの管理人に削除を要求したり、長谷川亮太を見捨てるかのような行動を行い、2012年6月以降からは、自身に対する誹謗中傷と言えないような茶化すレスまでも無差別に開示請求(無差別開示)を数回に渡って繰り返したことで反感が高まり、戸籍から親族関係が特定され、先祖の墓に落書きされる等、なんJ民の玩具にされる様になった。

という流れだ。

根本的な話として言うならば、長谷川亮太から依頼を受けた案件については解決させずに途中で案件から下りているらしい(※なんJ伝手に聞いた話)。

先ず最初に言っておくと、私は唐澤貴洋を擁護しようとも思わないしなんJの味方もしたいと思わない

だが、この番組を観てこう思った。「何を以て「逆転」と言うのだろうか?」と。

唐澤貴洋に対するなんJからの攻撃は未だに続いていて終わっていないらしい

唐澤貴洋はネット上で叩かれている事を売りにして「インターネット関連の問題に強い弁護士」としてメディアに出る様になった

なんJ民 VS 唐澤貴洋 の争いは今なお両者平行線の状態で続いている。

両者平行線の状態で争いが続いている中で、唐澤貴洋を批判していた人物の内数名が逮捕され逮捕された内一人が唐澤貴洋に謝りに来たという事実を「唐澤貴洋の逆転」と紹介して番組は締めくくられていた

なんJ民という集団の中の一人に対し精神的優位を宣言しただけで、根本的な部分では何も変わっていない

これを「逆転」と言うのであれば、「逆転」という言葉に対する認識がズレていると言わざるを得ないだろう。

番組全体への感想は上記の様なものとなった。

 

その上で、幾つか個別に感じた事も書いておこうと思う。

ネットの炎上コンテンツの新陳代謝

唐澤貴洋の炎上に限らず、ここ数年、ネット上の炎上コンテンツを幾つか見て来ていて感じた話だが、炎上コンテンツは大抵

  1. 発端となる事件に関わった人を中心に始まる
  2. その炎上を知った愉快犯が増える
  3. 愉快犯が飽きて一部を除いて離れる+発端に関わった人もある程度離れる
  4. 発端に関わった人の一部+粘着質な愉快犯だけが残った所に新たな愉快犯が加わる
  5. 以下、②~④が何度も繰り返される内に愉快犯の行動が過激化し、過剰攻撃になる

という流れになっている印象がある。

おそらく、長谷川亮太の行動の最初から関わっていた人は、今、唐澤貴洋の炎上に関わっている人の内、100人に1人もいないのではないだろうか。

確かに、なんJ民の一部、ハセカラ民等と言われる人達から見れば唐澤貴洋は面白い玩具なのかも知れないが、最近のハセカラ民の行動には行き過ぎた部分が有るのを感じる。

 

発端は八つ当たりなのでは?

唐澤氏がああも叩かれてたのって、当人の無能だとか言われてる部分はおまけ程度でしかなくて、元々依頼主のほうに向けられてた憎悪をそちらと入れ替わる形で表立って出てきたことで代わりにぶつけられてる、要は八つ当たりなんじゃないか等と

唐澤氏が看板倒れだったのだとしても、それだけでこうもいじられ続けるかと思うと正直考えにくいもので。あくまでも依頼主が積み重ねてきたヘイトがあってこそで、そこから地続きの出来事なんじゃないかと。その依頼主のほうに対しても、端から憎悪や怒りでなく面白そうな玩具程度にしか見ていなかった層もそれなりにいるかもしれませんが

依頼主の発言だという誹謗中傷の数々を目にしてみると、そりゃこんなこと言ってれば相応に恨みも募るだろうとは思えるんですが、唐澤氏だってそれらの正当化まではしてないはずなので、仕事とはいえその辺の恨みの矛先まで向けられてしまうのは流石にお門違いだろうと同情を禁じ得ないです。せめて依頼主のほうに向いたままにしておけたならと(実際にその後依頼主のほうでも色々あったとのことで洒落にもならないんですが

という意見を述べている人がいた。

言われてみれば、確かにそういう側面もある様に感じられる。

 

ハセカラ民はゲームをしているつもりなのでは?

喩え話としてだが。この問題の発端、なんJ民は長谷川亮太という人物を相手に「特定ゲーム」という相手の住所や本名を暴くゲームをしていたとも考えられないだろうか?

ゲームが終盤に差し掛かりラスボスが登場して何か偉そうなセリフを吐き戦闘に入る。

「これを倒せばエンディングだ」という所で長谷川亮太というラスボスは唐澤貴洋に依頼した。

つまり、ゲームの邪魔をされてエンディングを見損ねたから標的を「ゲームの邪魔をした相手」に変えたのがハセカラ民という存在なのだろう。

未だに唐澤貴洋を玩具にしているハセカラ民にとって、唐澤貴洋とは実在する人物ではなくゲームのキャラクターの様な存在であり、相手が生の人間だと思えていないから未だに玩具にし続けられているのではないだろうか。

そう考えると、色々と納得できる部分がある。

 

総評

総じて言うと、ハセカラ民 VS 唐澤貴洋 の争いに終わりが訪れる事は無いのだろうと思う。

ハセカラ民にとっての終わりとは、「唐澤貴洋が玩具にされている理由は唐澤貴洋が無能だからである事を唐澤貴洋に認めさせる」であり、唐澤貴洋にとっての終わりとは「唐澤貴洋が玩具にされる理由はゲームの邪魔をされた八つ当たりであるとハセカラ民に認めさせる」になる。

両方のゴールが一致しないのだから終わる事は無い。

 

唐澤貴洋に良い印象は無いが、ハセカラ民にも良い印象は持てないと、思う様になった。

 

名無しの写真家 拝名無しの写真家 拝