日本大学アメフト部問題に思う、「小さな悪を許せない正義」の台頭
半年ぐらい前?いや、一年ぐらい前だろうか?
そのぐらい前から、テレビを観ていると偶に流れて来るACのCMが印象に残っている。
御伽噺の『桃太郎』を題材に、「おばあさんが川で洗濯をしていたら大きな桃が流れて来て、おばあさんがそれを拾ったら批判の声が殺到した」という内容のCM。
このCMの話じゃないが、最近「小さな悪を許せない正義」な人が増えている様に思う。
最近だと、日本大学と関西学院大学のアメフト部問題等も、この「小さな悪を許せない正義」な人案件だろう。
日本大学と関西学院大学のアメフト部問題に関して、Twitter等を見ていると日本大学側の対応を批判している人が多いが、その人達のどれだけがこの問題に関して「当事者」なのだろうか?
「当事者ではない」けれど「自分達が正義を名乗って攻撃し易い対象を見付けたから攻撃している」そんな人達が殆どだろう。
こう指摘すると「日本大学側の監督はラフプレーを指示したのだから悪だ」「真相を明らかにするべき」という反論が来そうだが、その真相は当事者以外の人間に対して明かす必要の有る物なのだろうか?
本来ならこういう問題は当事者である日本大学と関西学院大学の間の問題だ。
それを日本大学側の対応が許せないからと声を荒げた人が居た結果、この問題はマスメディアでも取り上げられ、Twitter等でも批判の声が上がる様になった。
この問題に関して日本大学を批判している人は、ACのCMで桃を拾ったおばあさんを批判するコメントをしている人達と同じではないだろうか?
だからこそ、この問題に関して声を荒げた人に問いたい。
「貴方は当事者なのか?」当事者で無いのなら、何故批判する必要がある?
その批判は、正義に酔い痴れての批判にはなっていないか?
自分のこれまでの人生に批判される箇所が一つもない人だけが、日本大学に石を投げる権利があるのではなかろうか。
そんな事を考える名無しの写真家であった。
この問題がワイドショーで連日報道されている流れにうんざりしている。
名無しの写真家 拝